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東京家庭裁判所 昭和61年(少ハ)14号 決定 1986年9月22日

少年 B・T(昭41.10.20生)

主文

本件収容継続申請を棄却する。

理由

本件申請の趣旨は、本人は昭和60年11月20日東京家庭裁判所において、中等少年院送致の決定を受け、八街少年院及びその後関東医療少年院で処遇中のところ、昭和61年11月19日をもって、少年院法11条1項但書による収容継続の期間満了となるが、本人の院内での処遇経過、成績の推移、家庭の保護能力等を考慮すると、今後更に相当期間の矯正教育と仮退院後の保護観察が必要であるので本件申請に及ぶというのである。

本件関係記録によれば、本人は、窃盗、恐喝未遂保護事件につき、昭和60年11月20日当裁判所において中等少年院送致の決定を受け、同月22日八街少年院に収容され処遇中のところ、昭和61年3月14日内観中に居室内で倒れたほか、同月16日以降数回意識不明等の発作を起こすに至り、同月27日失神発作の病名で治療及び経過観察のため関東医療少年院に移送されたこと、移送後の診断では失神発作は反応性のものと推測されたが、その後も異物を嚥下したり、身体の不調を訴えるなど精神的不安定な状態に陥ることがあったこと、少年院の収容期間は少年院法11条1項但書の適用を受けて同年11月19日に満了する予定となっていることなどが明らかである。

ところで、本件申請を受理して当裁判所で調査に着手した後、昭和61年9月23日、嚥下した異物により腹膜炎を起こし、少年院外の病院で開腹手術等の治療のため病院への入退院を繰返し、同年11月7日2回目の退院をしたが、同月10日付で今後も腹膜炎を起こす可能性があり、外部専門病院での経過観察を要するとの診断があり、また精神神経面でも、拘禁状況においてより一般社会内での治療教育の方が有効で収容継続の必要がないとの神経科医官の診断がなされるに至り、この間本人の内省力が高まり、同月16日付で1級の上に進級する予定となった。関東医療少年院では前記診断の結果を考慮して、本人を収容期間の満了する昭和61年11月19日まで収容し、以後は社会内において家族のもとで病状の安定、治癒に専念させることが本人のために有益であるとして、同月11日付書面で本件収容継続申請を取り下げたい旨申し出た。

そこで、当裁判所は、前記経緯から本人を継続して収容処遇する等の必要がなくなったものと認め本件申請を棄却することとする。

よって、主文のとおり決定する。

(裁判官 西村尤克)

〔参考1〕 収容継続申請書

関医発第1473号

昭和61年9月16日

東京家庭裁判所御中

関東医療少年院長栗原徹郎

収容継続決定申請

氏名 B・T昭和41年10月20日生

本籍 東京都大田区○○○×丁目×××番地

保護番号 昭和60年少第16675号、窃盗、恐喝未遂保護事件

担当裁判官 西村尤克

上記の者は、昭和60年11月20日貴裁判所において中等少年院送致の決定を受け、同年11月22日八街少年院へ送致され、同少年院にて処遇中のところ、昭和61年3月27日、失神発作の疾病のため当院へ移送され、現在処遇中の者であります。

本年11月19日少年院法第11条第1項ただし書による収容継続の期間満了となりますが、別紙の理由により、少年院法第11条第2項による収容継続の決定をされたく申請いたします。

収容継続決定申請の理由

1 処遇経過

昭和60年11月22日東京少年鑑別所から八街少年院へ送致、二級の下編入

同年11月29日予科教育過程編入

昭和61年1月1日中間前期教育過程編入

同年1月6日ブロック科に編入

同年2月1日二級の上進級

同年2月12日中間中期教育過程編入、二寮へ転寮(木工科)

同年3月7日謹慎7日、減点21点、(いやがらせ、物品不正交換)

同年3月14日休養

同年3月27日関東医療少年院へ移送(失神発作)

同年4月10日考査終了、二階寮予科編入

同年5月2日謹慎5日(天国遊び)

同年5月13日謹慎5日(自傷)

同年6月10日還送申請決定

謹慎15日(異物えんげ)

同年6月13日還送認可申請

同年6月20日還送申請の取り下げ決定

還送申請の取り下げ送付

同年6月30日二階寮から四階寮へ処遇変更

同年7月3日還送認可申請の取り下げ認可受理

同年8月8日少年院法第11条第1項ただし書きによる収容継続決定(昭和61年10月20日から同年11月19日まで)

同年8月16日一級の下進級

2 成績の推移

本人は、昭和60年11月20日、東京家庭裁判所による中等少年院送致の決定を受け、同月22日、八街少年院へ入院した。

非行名は、窃盗、恐喝未遂であり、分類級はBG1P2である。

本人は、少年院での生活経験あり、(昭和58年7月15日から昭和59年9月6日まで、喜連川少年院入院)初期の生活への導入はできたが、中間中期教育過程編入ころから、日課参加への準備の遅れ、服装の乱れ等で、教官から指導を受ける場面が多くなった。

昭和61年3月14日、内観中、居室内で倒れ、左胸部が苦しい、はき気がする等の主訴あり、外部病院に連行、診察を受けさせたが、心臓発作の心配はないとの診察結果であった。

同月16日、意識不明と成り、鼻血を出して倒れているのを教官が発見し、外部病院にて受診させた。同病院にて、脳波検査をしたが、発作が認められず、てんかんは考えにくく、心因反応が最も疑われるとの診断であった。

同月22日及び24日に意識不明、意識消失、手足の硬直、わずかなけいれん等の発作が見られた。

昭和61年3月27日、病名失神発作にて、当院へ移送された。

当院での診断によれば、転倒や意識消失発作の原因は不明で、病名保留、経過観察とされたが、考査期間中は他の少年たちとも協調して生活していた。

昭和61年4月10日、考査期間を終了し、二階寮へ降寮した。同寮での生活は、全般に特に問題になるようなこともなく、元気に生活し、八街少年院でのような発作は、全く見受けられなかった。

昭和61年4月25日、天国遊びをしていたことが発覚、調査のため個室へ移室されたが、移室された直後から、イライラ、不眠、頭痛を訴えはじめた。

同年5月2日、天国遊びにより謹慎5日の処分を受け、個別処遇となったが、同期間中、頭痛、腹痛など身体の不調を訴え、また、眉毛を自分で抜いたにもかかわらず、自然に抜けたと再三の調査にも虚言を繰り返していた。

同月9日、眉毛が濃かったので薄くしようと毛を抜いたがととのわず、結局全部抜いてしまったと供述した。更に、本人は、貸与された縫針を口にくわえてあくびをしたら、飲み込んでしまったと申し出たため、直ちに外部病院にて検査し摘出した。

同月13日、自傷行為(眉毛を抜いた件)で謹慎5日の言い渡しを受け、同月18日、謹慎解除の言い渡しを受けた。

同月19日、13時ころから腹痛を訴えたので、14時30分、外部病院にて受診、レントゲン検査の結果、ボールペンのしん、ホーキのびょう釘を飲み込んでいた。

同月20日、貸与されている掛布団の綿を口の中に入れているのを巡回職員に発見され制止され、更に、その後の生活態度も芳しくなく、大声で奇声を発したり、鳥の鳴きまねをしたりして指導を受けている。

飲み込んだ異物については、本年6月5日、消化管の中に残存していないことが確認され、6月10日、異物えん下で謹慎15日の言い渡しを受けた。

謹慎中の生活は、気分の変動激しく、身体の不調を訴えたかと思うと元気よく腕立て伏せをしたりしていた。

6月25日に謹慎解除の言い渡しを受けたが、その後の態度も自己中心的で、他生との協調性もなく、二階寮での処遇が困難と思料され、同月30日、四階寮の処遇に変更した。

四階寮に編入されてからは、自重した生活が続いていたが、9月9日、他生を殴り謹慎10日の処分を受けた。

3 心身状況

(1) 精神状況

ア 知能

東京少年鑑別所で実施した知能検査によればIQ82で、普通の能力であり、特に問題はないが、思考は自己中心的で視野が狭い。

イ 性格

相手が弱いとみると威圧的に出る傾向があり、また、いやなことはやらず、それによって他人が迷惑しようと構わない。

(2) 身体状況

身長164.0cm、体重73.5kgで、体格は小太りである。

4 受入状況

身元引受人B・H(実父)

帰住予定地東京都大田区○○○×丁目×番地××号

家族は、実父、実母、姉の4人家族である。

保護観察所長の意見としては、家族の引き受けの意思はあるとの報告であるが、昭和59年9月6日、喜連川少年院を仮退院してまもなく非行を繰返し、再度矯正施設に収容されたにもかかわらず、自己への甘え、また、親への甘えが強く、親もまた、それを許容しているところがあり、現時点においては、家庭の保護能力への期待は薄いと思料される。

5 少年院の意見

上述のとおり、本人は当院における成績推移、精神状況、並びに家族の問題点、また、特に本年11月19日をもって、少年院法第11条第1項ただし書による収容期間が満期となるが、現級一級の下であること等を考慮すれば、今後相当期間の矯正教育が必要であり、パロールの期間を含めて、昭和62年8月19日まで、9か月の収容継続が必要と思料するものである。

〔参考2〕 収容継続申請取下書

関医発第1792号

昭和61年11月11日

東京家庭裁判所御中

関東医療少年院長 栗原徹郎

収容継続決定申請の取り下げについて(申請)

氏名 B・T昭和41年10月20日生

本籍 東京都大田区○○○×丁目×××番地

保護番号 昭和60年少第16675号、窃盗、恐喝未遂保護事件

担当裁判官 西村尤克

上記の者について、昭和61年9月16日関医発第1473号をもって少年院法第11条2項による収容継続決定申請をいたしましたが、別紙の理由により申請を取り下げたく、申請いたします。

なお、貴庁受理事件番号は昭和61年少ハ第13号です。

収容継続申請取り下げの申請理由

1 処遇経過(収容継続申請後の経過)

昭和61年9月9日謹慎10日(暴力行為)

同年9月12日課長説論(物品破損)

同年9月24日腹膜炎の疑いにて公立昭和病院へ入院、手術実施

同年10月8日病院から帰院

同年10月21日余罪(強姦、恐喝、窃盗の件)申立書提出、送付

急性腹症の疑いにて再度公立昭和病院へ入院

同年11月7日病院から退院

2 成績の推移

本申請書前については、収容継続申請書に記載のとおりであるが、その後、本人は昭和61年9月9日に謹慎10日(暴力行為)、同月12日課長説論(物品破損)の処分を受けたものの、その後は入院者の衣類の準備など寮内での作業も積極的に行い、同室者とも協調して生活できるようになった。

本年9月23日午後、腹痛を訴えたため、当院にて診察したところ、腹膜炎の疑いと診断され同月24日公立昭和病院へ入院し、同日、同院にて手術をうけた。

同院での療養態度は良好であり、病状も経過が順調で、10月8日病院から帰院した。

帰院後は、自分本位な考え方、ふるまいを十分反省し、現実吟味や内省力が高まった。

また、病状をもよく認識し医師の指示にも素直に従って生活するようになった。

同月19日ころから、再び腹痛を訴え、当院にて治療を受け経過を観察してきたが、腹痛及び発熱が続いたため、急性腹症と診断され、同月21日、公立昭和病院へ入院し、同院にて検査、治療を受け、症状が軽快したため、同年11月7日同院から帰院した。

帰院後の成績も良好で、本月16日付けで1級の上に進級の予定である。

3 心身状況

知能、性格、身体状況は収容継続申請書のとおりであるが、その後の状況については、別添の診断書を参照されたい。

4 受入状況

収容継続申請書のとおりである。

5 少年院の意見

本人について、昭和62年8月19日までの収容継続申請をしましたが、当院神経科医官によれば、拘禁状況においてより一般社会での治療教育の方が有効であるとの診断であり、また、当院外科医官の診断では、今後も腹膜炎を起こすおそれもあり、外部専門病院での経過観察を要するとされている。

以上の診断書を勘案すると、少年院法第11条第1項ただし書による昭和61年11月19日まで本人を収容し、以後は社会内において家族のもとで病状の安定、治癒のため治療に専念させることが本人のために有益であると思料される。

したがって、収容継続の申請を取り下げたく、申請いたします。

〔参考3〕 診断書

診断書

患者氏名 B・T殿

S41年10月20日生

病名 性格偏倚、状況反応

当院入院(3月27日)前、3月14日来、失神発作が数回あったという。しかし、当院入院后発作は認められず、脳波・心電図・血液生化学等すべて異常がなかった。従って失神発作は反応性のものと推測されたが、還送という段になって6月18日当院での初めての失神発作が1回認められたが、移送を回避するための逃避的手段と考えられた。

生活上裏に回ってのいたずら反則行為がみられた。いわゆるゴクテン遊びとか眉毛抜き、異物の嚥下などがみられた。腸内に遺留した異物(ボールペンのしん)のため潰瘍を起こし、緊急手術となり、外部の病院に一時入院した。

現在一応平静になっている。性格的に意志薄弱・逃避性・顕示性などの欠点があるが、この人の場合、拘禁状況においてより一般社会内での治療教育の方が有効であると考える。収容継続の必要はないと考える。

上の通り診断します

昭和61年11月10日

東京都府中市○町×-×-×

関東医療少年院

医師○○○○

〔参考4〕 診断書

診断書

患者氏名 B・T殿

昭和41年10月20日生

病名<1>異食症、<2>十二指腸異物穿通、腹膜炎、手術後<3>十二指腸潰瘍昭和61年9月24日、腹痛あり、腹部所見にて腹膜炎、急性腹症と診断し、外部病院にて、開腹術施行となった。手術所見では、十二指腸水平部に異物が穿通しており、異物除去及び穿通部縫合閉鎖を施行された。10月8日当院へ帰院したが、10月20日より、手術部位に痛み出現し10月21日、腹痛増強、発熱をみとめたため、再度外部病院入院となる。保存的療法にて軽快となり、11月7日当院帰院となる。今後も再び、腹膜炎をおこす可能性があり、外部専門病院での経過観察を要すると考えます。以上。

上の通り診断します

昭和61年11月10日

東京都府中市○町×-×-×

医師○○○○

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